【涙腺崩壊】若き特攻隊員が家族や婚約者に送った遺書!最期に彼らが伝えたかった想いに涙が止まらない….
若くして散った特攻隊員の遺書
陸海軍あわせて6000人以上の若い命が
戦場に散った旧日本軍の特攻作戦。
彼らが最期に残した家族や婚約者に遺した遺書には
伝えたかった想いが詰まっています。
その一部をご覧ください。
■ 相花信夫少尉(享年18歳)「母を慕ひて」
第七七振武隊として、昭和20年5月4日に出撃、戦死。
継母に言えなかった「お母さん」という言葉を書き綴っています・・・
■ 小川清少尉(享年22歳)「最後の便り」
昭和二十年四月十二日、第三回神雷桜花特別攻撃隊で
一式陸攻の搭乗員として出撃、南西諸島方面にて戦死。
■ 渡辺利廣少尉(享年24歳) 家族に宛てた手紙
昭和20年4月22日、知覧飛行場より
九七戦で特攻出撃し、沖縄本島で戦死。
■ 荒木春雄大尉(享年21歳) 妻に宛てた手紙
第51振武隊(悠久隊)にて知覧飛行場より出撃。
新妻・しげ子さんと結婚したのは特攻隊となったとき。
■ 穴沢利夫大尉(享年23歳) 婚約者に宛てた手紙
昭和20年4月12日、特別攻撃隊
「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」に
乗って知覧飛行場より出撃、戦死。
女物のマフラーを巻いたまま、
敵艦に突っ込んでいったと伝えられる。
穴沢利夫大尉の婚約者だった伊達智恵子さんは、
穴沢利夫大尉が吸った煙草の吸い殻をずっと
寄木細工の小箱に入れて持っていました。
「彼の唇に触れた唯一のものだから」
8月15日の終戦の時、
と虚脱感におそわれという智恵子さん。
自分に宛てた手紙を公にすることや、
戦時中のことを話すことにためらいがあったと言います。
それでも話すことにした理由を
『知覧からの手紙』で次のように語っています
涙が止まりません・・・
引用元:http://nextbland.com/archives/31531?utm_content=uzou_5&utm_source=uzou,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]
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